現役福祉職兼心理カウンセラーの資格を持つ篠原(@masayukishino8)です。
介護や福祉の職場で大変なのが人間関係です。介護職の退職理由で人間関係の悩みは上位にあります。
どんな人でも人間関係で大変な時やうまくいかずにストレスを貯めることがあります。大変な上司や同僚がいて振り回されてしまうことがあります。
今回の記事ではお伝えしたいことは、ヤバイ上司や同僚の前にあなた自身の性格でこんな特徴を持っていませんか?
心理学で一番定評のある性格分析にビックファイブと言うのがあるのですが、その中の「神経症的傾向」が強い性格特性ですね。
これは仮説なのですが介護職や福祉職の中には私と同じ「神経症的傾向」が強い人が多いのではないでしょうか?つまりもともとメンタルが弱いと言うことです。
介護職や福祉職は人間関係が大変。でもその前にメンタルが弱かったら?
=そりゃ、疲れるよね。
仕事をしていると同じような性格の人によく出会います。
そしてここからが重要で神経症的傾向はある程度改善が聞く特性です。つまりこの神経症的傾向を改善するだけでも人間関係を良くしたり嫌な奴に振り回されにくくなるからです。
メンタルはある程度鍛えられる。
なら鍛えてしまえばどんな嫌な上司や嫌な職員出会おうと振り回されにくくなるんじゃない?しかもずっと。
「体を鍛える」と言うと「体を鍛えるために頑張る」ことと思うかもしれませんが「メンタルを鍛える」は「頑張る」とはむしろ「逆」と言う意味ですね。
「メンタルを鍛える」は歯を食いしばって頑張ることではない。
むしろ頑張らないことが大事な時も多い。
Contents
なぜ介護職や福祉職になろうと思った気持ちの裏にあるものは?

なぜ重労働で安月給と言われる介護職や福祉職に着こうと思ったのでしょうか?色々な理由があると思いますが多くの人がこんな動機ではないでしょうか?
この「ありがとうを言われたい」「人の役に立ちたい」という気持ちがポイントです。この気持ちが「強く」湧いてくると言うことは、人から認められることを欲しい気持ちが強いと言うことではないでしょうか?
過酷で安月給なものに耐えても人からの承認を欲しい気持ちが「強い」。これってつまり自分で自分のことを肯定できないからで、心のどこかで自分のことを否定している気持ちが強いからではないでしょうか?
他人からの承認が欲しい気持ちが強い
=「自分のことを肯定できない」「自分のことを否定している」気持ちが強いからではない?
介護職や福祉職につく人は優しい人が多いです。きっとこんな人は自分が傷ついた経験があったり、人と比べて自信喪失した体験や劣等感を抱えたりしたから、人の気持ちに敏感で優しい人が多いのでは?と思います。
私も吃音症というどもる癖が小さい頃からあり、それで心理学やカウンセリングを習おうを思ったのですが、もともと不安傾向が強く劣等感や自信の低さでも悩んでいました。人の目がとても気になる性格でした。それゆえ人の顔色を伺うのが得意でした。ですから利用者の気持ちも察するのが得意だろうと言うことでこの仕事を選びました。
もともと神経症的傾向or自信喪失した体験→自分で自分を否定している→人からの承認が強く欲しい→ありがとうと言われる仕事
そして人からの承認されたい気持ちが強い人はこんな思いで仕事をするのではないでしょうか?
- 職員や利用者から嫌われないように頑張る
- 職員や利用者の期待に過度に答えようとする
- 自分の心身を無視して人のために頑張ろうとする
ここで問題です。良い職員だけならそれで良いですが、嫌な職員や嫌な上司の時でも同じように頑張ってしまうのではないでしょうか?。
- 嫌な職員から嫌われないように頑張る
- 嫌な職員の期待に過度に答えようとする
- 自分の心身を無視して嫌な職員のために頑張ろうとする
もともと神経症的傾向or自信喪失した体験→自分で自分を否定しているのを改善→人からの承認はそこまでいらない→ありがとうと言われなくても人から認められなくても、それはそれで大丈夫→自分の思う通りに意見を言い、仕事をする→人間関係に振り回されにくくなる
□嫌な職員からも嫌われないように頑張るのを止める
□嫌な職員の期待に過度に答えようとしない
□自分の心身を無視して嫌な職員のためにも頑張ろうとしない
自分で自分を承認できること=自己肯定感
自己肯定感とは自分の価値や自分の存在意義などを肯定できる感情(=自尊感情)のこと。「自分は自分であり、人は人である」と言う気持ちですね。
多くの介護職や福祉職で起きている様々な人間関係の問題は、ヤバイ運営が絡んでいたりヤバイ職員が引き起こしたりしたりするので、はっきり言ってどうすることも出来ないことも多いです。
しかしここで自己肯定感が高まってくればどうでしょうか?理不尽な問題に対処しようと知恵を絞り行動しようとしたり、職員と協力しあったり、嫌なものに嫌と言える性格になれたらどうでしょうか?
さらに、自己肯定感を高い人には周りの信頼ある職員とも良い関係を築け味方についてくれます。友人も家族も良い関係を築くことができるのでいざという時に助けてくれます。利用者とも近すぎず離れすぎずの良い関係を作ることができ、良い関係を築くことができるでしょう。
自己肯定感が高まって承認欲求を減らすことができると?
□他人の期待に過度に答えようすることが減り、自分の気持ちや仕事に集中することで嫌な職員に振り回されることが減る
□人間関係全般で人との良い距離感を保つことが出来るので人からも喜ばれる
自己肯定感をあげる具体的な第一歩は今までの努力とは「逆」をすること?

自己肯定感=自分の中の欠点もマイナスも嫌な部分も見たくないところも全て承認する。もちろんプラスの部分も。
例えばこんなことは誰しもが考えると思います。
友達のAちゃんは明るくて誰にでも積極的に話しかけて友達も多い。私は人見知りで暗い。私も明るく積極的にならなきゃ!
自分は人見知りで暗くてもいい。無理をして積極的になるのをやめよう。
とまずは認めてあげることです。自分を否定することを止めることです。いい意味であきらめることですね。
「Aさんのようにたくさんの友人は出来ないけど少ない友達を大事にしよう」
「内向的なのは治らない。でも人を喜ばすことは好きだから誕生日などに手紙を書こう」etc
今まではマイナスな部分を否定することを頑張るエネルギーにしてきた。
自己肯定感をあげるには、その逆。
マイナスな部分を否定することを、やめて受け入れること。そしてその上でやれることを考える!
私が体験した自己肯定感を上げる取り組み
私は自分の吃音症を直すために出会ったのが、同じ吃音症を持つ自助グループでした。そこはグループカウンセリングで吃音症を改善しようとする取り組むコミュニティでした。
そこのメンバーの特徴は社会的な地位が高い人も多く、何より自分と同じ症状を抱えているのに、自信があり、明るい人が多かったのです。答えはすぐにわかりました。グループカウンセリングにより自己肯定感が高い人が多かったからでした。
カウンセリングでしたことは自分を否定することを止めて、まずは自分の要素を認め受け入れることをひたすらしました。
「どもる自分も自分」「自信のない自分も自分」「人の顔色を気になってしまう自分も自分」「人間関係で萎縮してしまう自分も自分」…etc
止観とか内観と呼ばれることですね。
するとだんだんと「自分は自分なんだ」と言う感覚がもてる様になりました。気負いする必要がなくなり体の力が抜けてどもる症状も改善されてきました。
精神的にも安定し始め、人間関係が楽になってきました。自分のことが好きになり自分の強みや特徴を伸ばしたいと思える様になりました。だんだん劣等感も改善されて、自己肯定感が高まってきたのを感じました。
自己肯定感が下がるのは自分で自分を否定するストレスから
自己肯定感が下がるのはそもそも自分で自分を評価したり否定するストレスからです。人見知りでも、緊張しいでも神経症的傾向でも不安が激しくても、それを否定せずに受け入れていればそこまで問題になりません。
メンタルが弱くなるのは自己否定しているストレスから。受け入れてしまえばそもそも問題ではない。
例えば「人見知りな自分はダメなんだ」と自己否定している人がいるとします。しかし誰と比べてでそう思うのでしょうか?
そうなんです。基準が曖昧なんですね。曖昧な基準と比べて一喜一憂して、悪いだダメだと悲観的になっています。その悲観的な感情やストレスが自己肯定感を下げているのです。
ただ否定なく自分を観察する、受け入れるとは「人前に出ると心臓がドキドキしてしまう自分」となり、そこに良いも悪いもない状態を観察するだけになります。余計なことはしないんです。
否定することや自分で自分を評価することをまずは止めてみよう
自分を受け入れると言うとちょっと難しいかもしれませんがまずは否定することや評価することをやめることは今日からでも出来ます。普段私たちは評価や批判をして自分を観察しています。
例えば「人前で緊張してしまう自分」なら「人の前に行くと胸の鼓動が早くなり、呼吸が荒くなる自分」とだけですね。そこにいいも悪いもないんですね。これだけでも随分楽になるはずです。
まとめ まずは自己否定を止めてみる

いかがだったでしょうか?人間関係の究極の極意をまとめると以下の通りになります。
・嫌な人間関係の前に自分の性格やメンタルを見直すことで人間関係に良い影響がある
・一番メンタルに悪い影響を及ぼすのが自己否定よるストレス
・自分否定や評価することをまずは止めて「自分は自分でいいんだ」と一度あきらめてみよう。それだけでメンタルが安定してくる。
・緊張しいも人見知りも不安も誰かと比べて否定しなければ問題とならない。ただそういう状態があるだけ。基準が曖昧。
・自分の要素を認めて、その上でできることややれることを考えればいいだけ。